トンボを例に説明しよう。
1匹の♀が死ぬまでに産む卵が5000個だったとする。
※もちろん、♀が産む卵の數(数)には差がある。
そのうち、孵化するのは1割の500匹。成蟲(成虫)になれるのは そのまた1割の50匹。交尾し産卵にまで至るのは ♂♀各1匹だと言はれる(言われる)。
昆蟲(昆虫)のやうに(ように)たくさんの卵を産む生き物は、生存率が低い。生存率が低いから、たくさん卵を産む。
自然といふ(いう)のは上手くできてゐて(いて)、天敵に食べられたり、動物に捕まったりすることは、最初から計算されてゐる(いる)。
言ひ換へれば(言い換えれば)、さういふ(そういう)計算のできてゐる(いる)種が、長い地球の歴史の中で 生き殘って(残って)きた。
トンボも 然(しか)り。人が捕ったくらゐで(くらいで)數(数)が減るとは考へにくい(考えにくい)。
※一度に 何千匹も何萬匹(何万匹)も捕ってしまへば(しまえば)、話は別だが。
では、絕滅(絶滅)に追い込まれる生き物がゐる(いる)のはなぜか。
1番の原因は、生息環境の惡化(悪化)。
蟲(虫)のやうに(ように)たくさん卵を産む生き物は、生存率の低さを計算してゐる(いる)。
だが、卵が産みつけられたり、幼蟲(幼虫)が住んだりしてゐる(いる)池や川があっても、そこが埋め立てられたり 汚染されたりしてしまへば(しまえば)、
生存率の低さを計算してゐようが(いようが)してゐまいが(いまいが)、關係(関係)なくなる。
卵や幼蟲(幼虫)は全滅し、1匹も成蟲(成虫)になれず、子供が産まれないのだから。
外國(外国)の生物を、日本(元々ゐなかった(いなかった)ところ)に放してしまふ(しまう)と、
日本に 住んでゐた(いた)生物(在來種(在来種))に影響が出る。
アメリカザリガニやブラックバスが分かりやすい例だ。
日本の在來種(在来種)が、外國(外国)から來た(来た)強いものに食べられたり、
食糧を奪はれ(奪われ)たりして、數(数)が減ってゐる(いる)のだ。
國民性(国民性)といふ(いう)やつなのか、日本の生物は、比較的 大人しく控へ目(控え目)で、
大陸の 大きく氣(気)の強い種を相手にすると わりと簡單(簡単)に引き下がってしまふ(しまう)傾向があるさうだ(そうだ)。
かういふ(こういう)言ひ方(言い方)をすると 多少 面白いかもしれないが、笑ひごと(笑いごと)ではない。
ミドリガメとして賣られ(売られ)てゐる(いる)カメも、實(実)は ミシシッピアカミミガメという外來種(外来種)だったりする。
捨てる人が多く、ミシシッピアカミミガメは 既に日本に住み着いてしまってゐる(いる)。
他にも、在來種(在来種)と外來種(外来種)との交雜種(交雑種)が生まれる危險性(危険性)もある。
(實際(実際)に さういふ(そういう)交雜(交雑)の例は ヘビやクハガタ(クワガタ)等で確認されてゐる(いる)。)
日本は 周圍(周囲)を海で圍まれてゐる爲(囲まれている為)、
大陸に生息する種とは違った(違った)獨自の(独自の)進化を遂げてゐる(いる)固有の種(日本にしか生息してゐない(いない)在來種(在来種))が多い。
だが、外來種(外来種)を 放っておけば、大陸の血が混じり 日本の固有種がゐなくなる(いなくなる)といふ(いう)事態も起こりかねない。
交雜種(交雑種)は 在來種(在来種)とは 全く別の種である。本來(本来)、そこにゐる(いる)ハズのないもの、ゐては(いては)いけないもの。
それが 増え續け(続け)、在來種(在来種)にとって代はり(代わり)でもしたら どうだらうか(だろうか)。
宇宙人が日本人に化けて潛入(潜入)し、日本人を排除して いつの間にか 日本を乘っ取る(乗っ取る)やう(よう)なものである。
まぁ、そんな 無駄に宇宙規模の 例へ話(例え話)はいいとして。
外來種(外来種)と似た問題で、注意が必要なのは、遺傳子組み換へ(遺伝子組み換え)生物である。
自然界に存在しない生物も、同じやうに(ように)氣を附け(気を付け)ないと危ない。
暗闇で光る魚など ペットショップで 普通に賣ってゐる(売っている)ことも多いが、あまり認知されてはゐない(いない)。
タイリクアキアカネなど、自ら海を渡ってやってくる生き物は問題ないだらう(だろう)。しかし、人間の行動が原因でその種類が多くなったり、
生息範圍(生息範囲)が廣がったり(広がったり)するのは問題である。
(ただ、「どの行動がどの程度の影響を及ぼしてゐる(いる)のか」といふ(いう)ことを見極めるのは難しい。)
捕へた(捕えた)ものを捕へた(捕えた)場所に放すのなら構はない(構わない)が、さうでない(さうでない)ものは死ぬまで面倒をみる必要がある。
生き物を飼ふ(飼う)といふ(いう)のは、その生き物の 一生を背負ふ(背負う)ことと等しい。
その覺悟(覚悟)もないまま 安易に手を出してはいけない。
他の生物がどうならうと(どうなろうと)關係(関係)ないと切り捨てられるのなら、我々人間に 問題はないかもしれないが、
殘念(残念)ながら さうも(そうも)いかない。
森が生み出した酸素を吸ひ(吸い)、海に住む魚たちや 大地に育った植物を 捕(採)って食べてゐる(いる)。
目には見えないが、有害物質に汚染されずに生きていけるのは それらを分解してくれる微生物が 地中や體内(体内)にゐてこそ(いてこそ)である。
地球といふ(いう)同じ家に住む者同士、その恩惠(恩恵)に感謝し、相手を
必要以上に侵さない思ひやり(思いやり)を持たなければ、いづれ(いずれ)は 自分自身を
滅ぼすことになるのである。
今更、何を言っても遲い(遅い)。
だが、少しぐらゐ(ぐらい)隣人に氣(気)を遣ったって、バチは當たらない(当たらない)だらう(だろう)。