トンボと自然環境


▼  生態系のバランス - 捕獲するのは惡いこと? - 生態系を守るために

生態系のバランス

どんな生き物であっても、自然界には缺かせない(欠かせない)。 永い時間をかけて 積み上げられた"安定"なのだから。
ここでは 生態系をトランプタワーに例へて(例えて)みる。
地球上の生物を1枚のカード、その集合體(集合体)であるタワーを生態系とする。
では、その生態系のタワーのうち、トンボが絕滅(絶滅)し1枚のカードが消えたとしよう。すると、どうなるか。
タワーは頂上でさへ(さえ)、2枚のカードが支へ(支え)合ってゐる(いる)ので、1枚以上のカードが倒れることになる。
カードの場所によっては、タワーが全壞(全壊)することもある。
たとへ(たとえ)消えるカードが1枚でも、確實(確実)にバランスは崩れる。 そして、一度崩れたタワーは 簡單(簡単)には元に戻らない。
天變地異(天変地異)でも起きたなら まだしも、人間の不注意でそんなことになったら、それは果たして あるべき姿だらうか(だろうか)
カードは1枚たりとも 缺けて(欠けて)はならない、1種(しゅ)だって 絕滅(絶滅)に追ひ(追い)やってはならない、さう(そう)では ないだらうか(だろうか)


捕獲するのは惡いこと?(捕獲するのは悪いこと?)

蟲捕り(虫捕り)が原因で 昆蟲(昆虫)が絕滅(絶滅)する、 そんなことを思ってゐる(いる)人もゐる(いる)。だが、本當(本当)にさう(そう)なのか。

トンボを例に説明しよう。
1匹の♀が死ぬまでに産む卵が5000個だったとする。
※もちろん、♀が産む卵の數(数)には差がある。
そのうち、孵化するのは1割の500匹。成蟲(成虫)になれるのは そのまた1割の50匹。交尾し産卵にまで至るのは ♂♀各1匹だと言はれる(言われる)
昆蟲(昆虫)のやうに(ように)たくさんの卵を産む生き物は、生存率が低い。生存率が低いから、たくさん卵を産む。
自然といふ(いう)のは上手くできてゐて(いて)、天敵に食べられたり、動物に捕まったりすることは、最初から計算されてゐる(いる)。 言ひ換へれば(言い換えれば)、さういふ(そういう)計算のできてゐる(いる)種が、長い地球の歴史の中で 生き殘って(残って)きた。
トンボも 然(しか)り。人が捕ったくらゐで(くらいで)(数)が減るとは考へにくい(考えにくい)
※一度に 何千匹も何萬匹(何万匹)も捕ってしまへば(しまえば)、話は別だが。

では、絕滅(絶滅)に追い込まれる生き物がゐる(いる)のはなぜか。
1番の原因は、生息環境の惡化(悪化)
(虫)のやうに(ように)たくさん卵を産む生き物は、生存率の低さを計算してゐる(いる)
だが、卵が産みつけられたり、幼蟲(幼虫)が住んだりしてゐる(いる)池や川があっても、そこが埋め立てられたり 汚染されたりしてしまへば(しまえば)、 生存率の低さを計算してゐようが(いようが)してゐまいが(いまいが)、關係(関係)なくなる。
卵や幼蟲(幼虫)は全滅し、1匹も成蟲(成虫)になれず、子供が産まれないのだから。


生態系を守るために

ベッコウトンボ[べつかふとんぼ]などの數(数)が減り過ぎてゐる(いる)生物は例外とするとして、捕獲することに問題はない。
では、環境破壞(環境破壊)の他に 氣を附ける(気を付ける)ことは何か。
それは、外來種(外来種)を放さないこと。(國外(国外)から聯れて(連れて)來た(来た)種を 國内(国内)に放さないこと。)
トランプタワーの例を使ふ(使う)なら、もともと無かったカードを無理矢理タワーの一部にしやうと(しようと)してゐる(いる)状態だらうか(だろうか)

外國(外国)の生物を、日本(元々ゐなかった(いなかった)ところ)に放してしまふ(しまう)と、 日本に 住んでゐた(いた)生物(在來種(在来種))に影響が出る。
アメリカザリガニやブラックバスが分かりやすい例だ。
日本の在來種(在来種)が、外國(外国)から來た(来た)強いものに食べられたり、 食糧を奪はれ(奪われ)たりして、數(数)が減ってゐる(いる)のだ。
國民性(国民性)といふ(いう)やつなのか、日本の生物は、比較的 大人しく控へ目(控え目)で、 大陸の 大きく氣(気)の強い種を相手にすると わりと簡單(簡単)に引き下がってしまふ(しまう)傾向があるさうだ(そうだ)
かういふ(こういう)言ひ方(言い方)をすると 多少 面白いかもしれないが、笑ひごと(笑いごと)ではない。
ミドリガメとして賣られ(売られ)てゐる(いる)カメも、實(実)は ミシシッピアカミミガメという外來種(外来種)だったりする。
捨てる人が多く、ミシシッピアカミミガメは 既に日本に住み着いてしまってゐる(いる)

他にも、在來種(在来種)と外來種(外来種)との交雜種(交雑種)が生まれる危險性(危険性)もある。 (實際(実際)に さういふ(そういう)交雜(交雑)の例は ヘビやクハガタ(クワガタ)等で確認されてゐる(いる)。)
日本は 周圍(周囲)を海で圍まれてゐる爲(囲まれている為)、 大陸に生息する種とは違った(違った)獨自の(独自の)進化を遂げてゐる(いる)固有の種(日本にしか生息してゐない(いない)在來種(在来種))が多い。
だが、外來種(外来種)を 放っておけば、大陸の血が混じり 日本の固有種がゐなくなる(いなくなる)といふ(いう)事態も起こりかねない。
交雜種(交雑種)は 在來種(在来種)とは 全く別の種である。本來(本来)、そこにゐる(いる)ハズのないもの、ゐては(いては)いけないもの。
それが 増え續け(続け)、在來種(在来種)にとって代はり(代わり)でもしたら どうだらうか(だろうか)。 宇宙人が日本人に化けて潛入(潜入)し、日本人を排除して いつの間にか 日本を乘っ取る(乗っ取る)やう(よう)なものである。

まぁ、そんな 無駄に宇宙規模の 例へ話(例え話)はいいとして。 外來種(外来種)と似た問題で、注意が必要なのは、遺傳子組み換へ(遺伝子組み換え)生物である。
自然界に存在しない生物も、同じやうに(ように)氣を附け(気を付け)ないと危ない。
暗闇で光る魚など ペットショップで 普通に賣ってゐる(売っている)ことも多いが、あまり認知されてはゐない(いない)

タイリクアキアカネなど、自ら海を渡ってやってくる生き物は問題ないだらう(だろう)。しかし、人間の行動が原因でその種類が多くなったり、 生息範圍(生息範囲)が廣がったり(広がったり)するのは問題である。 (ただ、「どの行動がどの程度の影響を及ぼしてゐる(いる)のか」といふ(いう)ことを見極めるのは難しい。)
捕へた(捕えた)ものを捕へた(捕えた)場所に放すのなら構はない(構わない)が、さうでない(さうでない)ものは死ぬまで面倒をみる必要がある。
生き物を飼ふ(飼う)といふ(いう)のは、その生き物の 一生を背負ふ(背負う)ことと等しい。 その覺悟(覚悟)もないまま 安易に手を出してはいけない。

他の生物がどうならうと(どうなろうと)關係(関係)ないと切り捨てられるのなら、我々人間に 問題はないかもしれないが、 殘念(残念)ながら さうも(そうも)いかない。
森が生み出した酸素を吸ひ(吸い)、海に住む魚たちや 大地に育った植物を 捕(採)って食べてゐる(いる)。 目には見えないが、有害物質に汚染されずに生きていけるのは それらを分解してくれる微生物が 地中や體内(体内)にゐてこそ(いてこそ)である。
地球といふ(いう)同じ家に住む者同士、その恩惠(恩恵)に感謝し、相手を 必要以上に侵さない思ひやり(思いやり)を持たなければ、いづれ(いずれ)は 自分自身を 滅ぼすことになるのである。
今更、何を言っても遲い(遅い)
だが、少しぐらゐ(ぐらい)隣人に氣(気)を遣ったって、バチは當たらない(当たらない)だらう(だろう)


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