トンボは學ぶ(学ぶ)のか


(1)ヒガシカワ[ひがしかは]篇

ニホンカワトンボ[にほんかはとんぼ]:當時(当時)の和名はヒガシカワトンボ[ひがしかはとんぼ](以下ヒガシカワ)に 水を與へて(与えて)ゐる(いる)ときのことであった。
ヒガシカワは水を飮む(飲む)ことに夢中だったので、机に乘せて(乗せて)おいた。

しばらく、それを見ていると、1滴の水がヒガシカワの口から落ちた。
すると、水が落ちてすぐに ヒガシカワは口を机につけた。 最初は倒れさう(倒れそう)なのかとも思ったが、よく見ると水を吸ってゐる(いる)
その後、水が落ちたところに 水滴を追加でたらすと、何度も同じやうに(ように)吸ふ(吸う)
(右のアニメーションのような感じ、なぜか水に口をつける時だけ素早い。)

(顔)の近くに水をたらすと、やっぱり 同じやうに(ように)吸ふ(吸う)のであった。

〜なぜ水を吸ふ(吸う)のか〜
トンボは、ほぼ360度見渡せる複眼を持っているので、顔の下の水に氣附く(気付く)ことは不思議ではない。
自然界でも、葉っぱなどの上にある水滴を吸ってゐる(いる)のであれば、それを家の中でやったといふ(いう)だけのことである。

〜結果〜
「飮める(飲める)物が落ちたので吸ふ(吸う)」なのか「落ちてゐる(いる)水を吸った」なのかは分からない。
學習(学習)したのか、本能なのかは、今回は分からなかった。

※ 實際(実際)の映像。


(2)ハラビロ篇

これも、偶然見たものである。

ハラビロトンボ(以下ハラビロ)に水を與へて(与えて)ゐる(いる)ときのことであった。

ハラビロは、指につかまってゐる(いる)状態。
ちょうど(ハラビロが)口にふくんでゐた(いた)水を飮み(飲み)きったところ。
もっと水を飮んで(飲んで)もらはうと(もらおうと)箸の先に水をつけようとしたとき、指にくっついていた水を、口をつけて飮み(飲み)始めたのだ。
水のある場所は違ふ(違う)が、その姿は、"(1)ヒガシカワ篇"のときとよく似てゐた(いた)

〜なぜ水を吸ふ(吸う)のか〜
これについては、"(1)ヒガシカワ篇"を見てもらひたい(もらいたい)

〜結果〜
前囘(前回)〔"(1)ヒガシカワ篇"のとき〕と違ひ(違い)、今囘(今回)は「落ちてゐる(いる)(近くにある)水を吸った」としか考へ(考え)られない。
といふ(いう)ことは、學習(学習)したのではなく、本能である可能性の方が高いのではないだらう(だろう)か。


(3)モイワ[もいは]&ヒガシカワ[ひがしかは]篇

"(1)ヒガシカワ篇"から約1年後。

モイワサナエ[もいはさなへ](以下藻岩)とヒガシカワトンボ(以下東川)に水を與へて(与えて)ゐる(いる)ときのことであった。

水を飮んで(飲んで)ゐた(いた)藻岩は、指につかまってゐて(いて)口に水滴が附いて(付いて)ゐる(いる)状態。
しばらくは大人しく水を飮んで(飲んで)ゐた(いた)のだが、腹がいっぱいなのか 口の動きが止まった。 そして、突然 ガクッと頭部が素早く動き、水滴を落とした。
もっと水を飮んで(飲んで)もらはうと(もらおう)口に水をつけたのだが、やっぱり水滴を落とす。
今までに見てきたのは落ちてゐる(いる)水を"吸ふ(吸う)"だったが、今囘(今回)はその逆。要らない水を落としたのだ。

逆のパターンもあるのかと思ひつゝ(思いつつ)、次は東川の番。
東川も藻岩同樣(同様)、最初は大人しく水を飮んで(飲んで)ゐた(いた)のだが、突然(突然) ガクッと頭部が素早く動き、水滴を落とした。
「キミも要らない水は落とすのか」と思ってゐた(いた)ら、また ガクッと頭部が動いた。
「今度は水を吸ってゐる(いる)のか」と思ひつゝ(思いつつ)眺めてゐる(いる)と、また ガクッと頭部が動く。
箸の先に附いた(付いた)水を直接口に附ける(付ける)と水を落とし、その後、落とした水を吸ってゐるやうな(いるような)動きも何度かする。

吸ふ者(吸う者)がゐれば(いれば)、落とす者(者)もゐるし(いるし)、兩方(両方)やる者もゐる(いる)のか。

〜なぜ水を吸ふ(吸う)のか〜
なぜ水を吸ふ(吸う)のかについては、"(1)ヒガシカワ篇"を見てもらひ(もらい)たい。

〜なぜ水を落とすか〜
私の勝手な豫想(予想)ではあるが、大きい水滴が邪魔だったから 水滴を落としたのではないだらう(だろう)か。

〜結果〜
これだけいろんな種類のトンボが 突然(突然)やりだすとなると、前囘(前回)(ハラビロのとき)と同じく「本能である」と考へた(考えた)方が自然だらう(だろう)

〜最終的な結論〜
觀察(観察)記録の題「トンボは學ぶ(学ぶ)のか」の答へ(答え)としてまとめるとすれば、
(今囘の出來事(今回の出来事)については)トンボは學んで(学んで)はゐない(いない)


あとがき

學んで(学んで)はゐない(いる)といふ(いう)結論を出した後も、何度も この行動は(室内で)確認してゐる(いる)
最初の頃は、吸ってゐるやうに(いるように)しか見えてゐなかった(いなかった)。しかし、藻岩〔→(3)モイワ&ヒガシカワ篇〕の落とすやうな(ような)行動をきっかけに、 吸ってゐる(いる)のか 落としてゐる(いる)のか分からなくなってきた。
水の落ちてゐる(いる)ところから 落ちてゐない(いない)ところに移動して 落とすような行動をやったり、何もないところで 落とせる水もないのに カックンカックンやったり。
疑問に思ふ(思う)ことがあれば、反對(反対)に 分かったこともある。
この行動(落とすか吸ふ(吸う)かは別として)は、特に決まったトンボがやるものでは なささうだ(なさそうだ)といふ(いう)こと。 肢の長さは關係(関係)ないといふ(いう)こと。 サナエトンボ[さなへとんぼ]の類ひ(類い)は、この行動の直後(たぶん吸った直後)頭を上に向けて首をかしげるやうな(ような)動きをする者が多いこと。 口に含めない量の水が口にくっついてゐる(いる)ときは、水を落とす(と思はれる(思われる)行動をする)ことが多いといふ(いう)こと。
大きな疑問は、この行動は自然界で行われてゐる(いる)のかといふ(いう)こと。そして、この本能のやうな(ような)行動は 何のために行はれる(行われる)行動なのか といふ(いう)こと。
今後も、この"水吸ひ(水吸い)"と"水落とし"は何度も目擊(目撃)すると思ふ(思ふ)ので、觀察(観察)は續ける(続ける)つもりである。
右の寫眞(写真)は2006/05/26撮影。


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