Amate libellulas
 トンボを愛せよ [羅]


▼  トンボ捕りのスヽメ - トンボの捕り方 - ヤゴの捕り方 - トンボを追って…

トンボ捕りのスヽメ(トンボ捕りのススメ)

まずは、トンボに觸れて(触れて)もらひたい(もらいたい)
トンボに觸れる(触れる)には、トンボを捕らなければならない。

夏になれば、捕蟲網(捕虫網)や蟲かご(虫かご)は簡單(簡単)に手に入れられる。 最初はそれで十分。でも、トンボ捕りの魅力に氣附いた(気付いた)なら、 昆蟲用品(昆虫用品)專門(専門)の會社(会社)で 賣ってゐる(売っている)、もっとしっかりした物に手を伸ばした方が いいだらう(だろう)

外部リンク (リンク先は別サイト、別窓表示)
志賀昆虫普及社http://www.shigakon.com/
むし社http://www.mushi-sha.com/

捕蟲網(捕虫網)はネットのやはらかい(やわらかい)もの、 蟲かご(虫かご)の代はり(代わり)に三角ケースと三角紙
捕獲したトンボは三角紙に入れ、三角紙は三角ケースに入れる。
多くのトンボを捕るとき・遠くに出掛けるとき・暑い日に捕るときは、保冷劑(保冷剤)を入れた 發泡スチロール(発泡スチロール)の箱に三角紙ごとトンボを入れておくと、元氣(元気)なまま 聯れ歸る(連れ帰る)ことができる。
※金屬(金属)製の三角ケースは、炎天下ではすぐに熱くなる。その中にトンボを入れておくと、弱ってしまふ(しまう)ので注意。
※捕蟲網(捕虫網)は、電線に注意して使ふ(使う)。また、落雷を防ぐ爲(為)、雷が鳴ってゐる(いる)時は 使はない(使わない)。雷の速度は 人間が対應(対応)できるものではないので、「近くで光ってないから大丈夫」なんて 樂觀的(楽観的)に考へない(考えない)やうに(ように)

大物(ヤンマの類)を相手にすることは、トンボ捕りの樂しさ(楽しさ)を 味はふ(味わう)意味では かなり魅力的である。
巡囘(巡回)コースを觀察(観察)して 一番接近出來る(出来る)ポイントを探すのは 基本ではあるが、そんなものを 見つけたぐらゐ(ぐらい)では 彼らは手中に收まっては(収まっては)くれない。
網の長さが ギリギリで屆かない(届かない)ところを見透かしてゐる(いる)かのやうに(ように)、 絶妙な距離を保ちつつ こちらの攻めを巧みに かはして(かわして)ゆく。 …さぁて、どういふ(どういう)驅け引き(駆け引き)をしたものか。
「たかがムシ」と侮るなかれ、一匹相手に 日が暮れるまで夢中になるなど ざらである。

さて。トンボを捕まへれば(捕まえれば)、このトンボは何といふ(いう)トンボだらう(だろう)といふ(いう)疑問が生じると思ふ(思う)が、 寫眞(写真)による同定(=種類を見分けること)は お勸め(お勧め)しない。
トンボに興味を持つ前からとは言はないが(言わないが)、同定には專門書(専門書)の圖解(図解)を使った方がいい。
サナエトンボ[さなへとんぼ]やイトトンボなどは特に、生態寫眞(写真)と見比べて見分けるのは難しい。
※生態寫眞(写真)= 飛翔や産卵など 自然界での姿を收めた(収めた)寫眞(写真)。 鑑賞する分には 美しくていいのだが、細部が見えない(もしくは見づらい)爲(為)、同定には向かない。

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値段も手頃で 情報量もあるものは このへん。(上段)
  
情報は一番古くなるが、質問に答へ(答え)ながら 見分けるやうな(やうな)スタイルの「檢索圖説(検索図説)」は 扱ひ(扱い)やすい。
「大圖鑑(大図鑑)」は 情報量はバツグンだが 値段も超重量級である。重さも 2〜3kg ある。持ち歩きは 無理。
專門書(専門書)って、手間かかる割に 需要無いから 高いんだよね。


トンボの捕り方

トンボ捕りは、基本的に單獨行動(単独行動)
網を思ふやうに(思うように)振れなかったり、トンボに逃げられてしまったりしないやう(よう)、 理由がなければ 一人で行動する。

服裝(服装)は、洋服なら 長そで・長ズボン・長靴が理想。
和服なら 半着(はんぎ、=袴下着物)、もしくは 長着(ながぎ、浴衣も可)を端折り、袴(細袴や野袴あたり)をつけると足捌きが良い。 履物は 下駄や雪駄ではなく、長靴や地下足袋(地下足袋には防水機能は無い)などの方が より良いか。 襷(たすき)を使ふ(使う)場合は 手甲(てかふ(てこう)、肘まで覆へる(覆える)もの)があっても いいかもしれない。
トンボのゐる所(いる所)には、エサになる蟲(虫)は勿論のこと、トンボの天敵もゐる(いる)
蚊やアブに刺されぬよう長そで・長ズボン、足元が泥だらけ・水浸しでも大丈夫なやうに(ように)長靴(川に入るときは胴長)を履く。

止まってゐるトンボの捕獲例

トンボを捕る時は、後ろから網を持っていくと(前から近づけるよりは)捕りやすいと言はれる(言われる)
トンボが網に入ったら、網(の柄)を180度囘して(回して)トンボが網から出られないやうに(ように)する。 この狀態(状態)のまま、網(ネットの部分)を自分のところまで引き寄せれば、(網が 破けてでもゐない(いない)限り)手元に來る(来る)前に逃げられることはない。
「トンボ捕りのスヽメ(トンボ捕りのススメ)」でネットのやはらかい(やわらかい)捕蟲網(捕虫網)がいいと言ったのは、 "トンボを網に閉じ込める"爲(為)

飛んでゐるトンボの捕獲例

地面など(低い位置に)止まってゐる(いる)トンボを捕るには、網を上から被せるか、飛んでから(もしくは わざと飛ばせて)捕る、のどちらか になるだらう(だろう)
網を上から被せた場合、そのまま トンボを網から出さう(出そう)とすると、網のフレームと地面との間に 隙間が出來て(出来て)そこから逃げられやすくなる。 それを防ぐ爲(為)、捕獲後 (網の尻側を持って)上下にネットを廣げる(広げる)といい。逃げたいトンボはどんどん上へいくので、 ある程度 網の口から離れてから 中に手を入れトンボをつかむ。
※大きい網を使うと捕りやすくなるのは確かなのだが、狹い(狭い)所に逃げ込まれると追って行けなくなることもある。
※動きの速いトンボを捕る時は、網の目が粗いものを使ふと(使うと)(風の抵抗が少なくなるので)より良い。

低位置に止まるトンボの捕獲例

トンボをつかむ時は、翅に(指紋が)觸れ(触れ)ない持ち方が望ましい。
きれいな
標本にしたいのなら、指紋や汗の痕をつけないやうに(ように)注意してトンボに觸れる(触れる)。 「指紋や汗なら氣(気)にする程の事ではない」というのなら、どんなつかみ方をしても構はない(構わない)
ただし、羽化直後のトンボや翅の小さいトンボは、翅が變形(変形)したり、汗で翅と翅がくっついたりして飛べなくなる恐れがあるので、 (標本にしないで放す時は特に)注意する必要がある。


捕ったトンボは三角紙に入れるのだが(捕ってすぐに放しても構はない(構わない))、羽化したばかりのトンボは別。
(体)が柔らかいうちに三角紙に入れると、複眼や胸部が潰れてしまふ(しまう)。 それを防ぐ爲(為)に 紙袋などに入れて聯れ歸る(連れ帰る)。トンボが暴れて翅が折れることもあるが、そのくらゐ(くらい)は 仕方ない。
※三角ケースにトンボをたくさん詰め込むと、成熟したトンボも潰れてしまふ(しまう)ことがある。


ヤゴの捕り方

    

初めての人は、まず、水田で探すと いいだらう(だろう)
水田や その附近(付近)の水路 の底の泥を、ざるや水に濡れてもいい網ですくう。
※水田や稻(稲)に 害の無いやうに(ように)注意。

泥まみれでモゾモゾと動くものがゐたら(いたら)、よく見てほしい。 肢が6本、口元を覆ふ(覆う)大きなアゴ、そして背中に 翅芽(しが、三角形の小さな翅)があれば、トンボの幼蟲(幼虫)・ヤゴである。
※なほ(なお)、翅芽の生えてゐない(いない)若いヤゴもゐる(いる)ので、 「翅芽がない=ヤゴではない」といふ(いう)ことではない。

淺い(浅い)池でのヤゴ捕りの例

その場で放してもいいが、聯れ歸る(連れ帰る)ことを薦めておく。
水槽に ヤゴを捕った所の泥を敷き (ヤゴの好みは完全に無視だが、金魚鉢用の砂利などでの代用も可能)、水を入れる (水道水は塩素が含まれるので 避けた方が無難だらう(だろう))。 羽化用の棒を立てることもお忘れなく。
エサは、小魚(大型のヤゴはヒメダカをよく食べる)・おたまじゃくし・イトミミズなど。 (ただし、動かないとヤゴは喰ひ(喰い)つかないので 死體(死体)は基本不可。 上手く目の前で動かせば 喰ひつく(喰いつく)こともある。)
弱肉強食の自然の嚴しさ(厳しさ)、羽化の時に見る自然の凄さを、自分の目で確かめてもらひたい(もらいたい)


トンボを追って…

トンボを追ふ(追う)方法は1つではない。
「網を持って追ふ(追う)」、「カメラを持って追ふ(追う)」、「ノートを持って追ふ(追う)(觀察(観察)する)」、 ただ「目で追ふ(追う)」のもいいだらう(だろう)。 一方的に話し掛けるのも、これはこれで樂しい(楽しい)
追へば(追えば)追ふ(追う)ほど、發見(発見)がある。見たことないトンボとの出會ひ(出会い)もある。 貴重な瞬間に立ち會ふ(会う)ことも出來る(出来る)だらう(だろう)。 そして、トンボについてもっと知りたくなる。
トンボを知る爲(為)に、學ば(学ば)なければならないことも出てくるかもしれない。
でも、何も 專門家(専門家)のやうに(ように)やたら詳しくなる必要はない。 飽きたら辭めても(辞めても)いいのだ。
苦にならない程度に、何より 樂しんで(楽しんで)やることが大切。
知りたいと思った時が 知るチャンスである。

たくさんのトンボに觸れ(触れ)れば、その死を見ることにもなるだらう(だろう)
自分が捕ったことによって、1つの命が消える。それで良かったのか。
結論は人それぞれだが、私は、"命の重さは 命を奪ってみないと分からない"と思ふ(思う)
だからこそ、蟲捕り(虫捕り)を薦める。
自分が命を奪ったとき、そして それに氣附いた(気付いた)とき、初めて その重さと あっけなさを知ることができるのではないだらう(だろう)か。
トンボと關はる(関わる)ことで、「命とは何か」「自然とは何か」そして「自分とは何か」、 それを考へる(考える)きっかけが出來れば(出来れば)いいなと、私は思ふ(思う)

Gaudeo quod libellulas amas. (ガウデオー クウォド リベルルラース アマース)
—あなたがトンボを愛してゐればこそ 私は嬉しい [羅]


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